2018.10.16 平成25年 伊豆大島土砂災害への追悼の黙とう
伊豆大島にて平成25年(2013年)10月16日に起きた、未曾有の土砂災害をご存知でしょうか。
私は恥ずかしながら、大島に来るまでこの土砂災害の事をよく知りませんでした。
■台風の発生■
平成25年10月11日、マリアナ諸島付近にて台風26号が発生。
台風26号は発達をしながら北北西へと進み、15日午前に南大東島の東の海上で進路を北東へと変える。
16日未明に、強い勢力を維持したまま伊豆大島へ最接近し、それに伴い伊豆大島に激しい雨を降らせる。
大島町元町では、1時間に「122.5ミリ」の猛烈な雨が降り、24時間降水量では824.0ミリを記録した。
この記録は、観測史上1位の値で、大島町の10月平均降水量の約2.5倍に相当した。
■災害の発生■
10月16日の午前2時から3時頃、元町地区上流域の大金沢を中心とした渓流において、流木を伴った土石流が発生。
泉津地区では森林区域内で山腹が崩壊し、道路、集落、渓流に土砂が流出した。
岡田地区、波浮地区、元町地区でも同様に、森林区域内に山腹崩壊が起こり、道路、集落、漁港などに土砂が流出した。
■被害の状況■
台風26号に伴う土砂災害は、多くの死者・行方不明者等の人的被害を発生させた。
また、家屋やインフラへも大きな被害を与えた。
この土砂災害による被害は、元町地区を中心に、岡田地区、泉津地区など広範囲に及んだ。
<人的被害>
・死者 36名
・行方不明者 3名
・重傷者 10名
・軽傷者 12名
死者は全て、元町地区において発生。また、大島町民以外の方も3名亡くなられた。
台風26号によって、避難を強いられた方も大勢おり、更にこのあとに台風27号、28号の接近に伴う避難指示発令を受けて、避難をする方が増え、避難所を増やして対応したとのこと。
そして、この災害を受け多くの機関が大島町に駆け付け、応援活動要員も多数に及んだとのことです。
※現在も、行方不明者3名の捜索は続いております。
■復興へ向けて■
この災害を受け、島の復興および島民の生活再建を迅速に行うため、基本方針やテーマ、目標を掲げられ、特に「安全、安心なまち」「元気のある大島」の再建に向け、町民参加による復興を積極的に行っているようです。
更に、特に甚大な被害のあった元町、神達地区には「復興を祈念するメモリアル公園」が計画され、2021年度には完成を迎える予定とのこと。
私も何か、復興のために出来ることがないかと思っても、そう簡単ではありません。
せめて、こういう甚大な災害が伊豆大島で起こったのだと知って頂きたく記事にしました。
この日、10月16日の12時より、大島町防災無線により1分間の黙とうの合図がありました。
亡くなられた方へ、そして未だ行方不明の3名の方へ、この災害により生活が一変してしまった方や、被害に遭われた方すべてに対し、思いを込めて。
[su_note note_color="#e6caf7″]■過去の主な災害■
・昭和33年 狩野川台風
昭和33年(1958年)9月21日に、グアム島の東海上で発生した台風22号(通称:狩野川台風)は、9月26日の21時頃に伊豆大島に最接近。
この影響により、外輪山山ろくから土石流が発生し、元町では全壊55戸、半壊49戸、浸水42戸の被害を受けた。
人的被害は、死者1名、行方不明者1名、重軽傷者53名であった。
・昭和40年 元町大火
昭和40年(1965年)1月11日23時10分、元町にあった寿司店より出火。
約5分後に連絡を受けた町は、ただちに消防団を向かわせたが、先頭部隊が現場に到着したときには、出火元の建物から隣接建物に延焼している状況だった。
この日は最大瞬間風速36.2mを観測し、23時30分に強風波浪注意報が発表されるほどの強風が吹いていた。
強風にあおられた火の手はみるみる勢いを増し、瞬く間に燃え広がった。
当時、町は消火に努める一方、避難所を町内4か所に設置し、住民を避難させるなど救助を行い、人的被害は皆無であった。
火災は、翌日12日の6時45分に消し止められた。
焼失面積16万5000㎡。
住家・非住家あわせて586棟420戸が被害を受け、罹災世帯408世帯1273人にのぼった。
・昭和61年 三原山噴火
昭和61年(1986年)11月15日に三原山の山頂で噴火が始まった。
その4日後の19日には、火口から溶岩が溢れ出たが、20日にはこの溶岩流出がほぼ停止し、火山活動は鎮静化した。
その翌日、事態が大きく動く。
11月21日16時頃、カルデラ内で噴火が始まり、爆発とともに黒煙や火柱があがり、割れ目噴火が発生するとともに、地震も頻発し住民の不安を掻き立てた。
11月21日の噴火をきっかけに、町は17時22分に「大島町三原山噴火災害対策本部」を立ち上げ、17時57分に岡田地区、泉津地区に避難指示を発令し、20時過ぎには島内全地域に避難指示を発令した。
22時50分には、全島民の島外避難を決定し、船舶による避難が始まった。
島外避難が完了したのは翌日の早朝、6時であり、最初に避難指示が発令されてから12時間という短時間での約1万人の島外避難の完了であった。
およそ1か月後の12月19日、町は避難指示を解除し、島民の帰島が始まった。
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