2019.12.08 三度目の波浮港

波浮港へ足を運んでみました。
いつ見ても、この波浮港見晴台から見渡せる景色は最高です。

波浮港は前回記事などでも触れていますが、もともとは「波浮の池」という火口湖でした。
大島は、今なお活発な火山活動を続けている噴火の島ですから、こういう火口湖が出来ても不思議ではありません。
その火口湖が、元禄16年(1703年)に起こった「元禄関東大地震」により大津波が起き、波浮の池の一部が決壊し海と繋がったのです。

そしてその後、寛政2年(1790年)に、波浮港を開港した人物が薬草調査案内人という肩書きでここ伊豆大島へ降り立ちます。
それが「秋廣平六」です。
もともとは、江戸で木材や薪、炭の取引に従事する商人だったそうですね。

波浮の池が決壊し、ちょうど「湾」の形となり波の影響を受けにくくなった波浮の池は、船の往来に便利な港になったのですが、元が火口湖のため深さが無かったのです。
そのため満潮時にしか船の往来ができない、という何とも島としては致命的な状態に陥っていました。

そこでこの秋廣平六さんは、ものすごい熱意をもって幕府へ、この不便すぎる港の開削を願い出たわけです。
そして寛政12年(1800年)3月に工事を着工し、この年の8月に竣工し、今の波浮港が開港したのです。
「風待ちの港」として大いに栄え、伊豆大島発展への礎を築いた秋廣平六は、文化14年(1817年)に没後約150年後の昭和41年(1966年)にその功績を称え、大島町名誉町民の称号が贈られた。

熱い男だったんでしょうね。そして活動的。
商人としての才もあったのでしょう。

せっかくなので、見晴台だけではなく、港の方にも下りてみようかと思います。

今日は穏やかな天気で、波もキラキラ光っていました。
私はここからの景色も大好きです。
しかも、ここに来ると必ず「鵜飼商店」のコロッケの匂いが漂ってきて、お腹がすきます。
なので必ずコロッケを食べながら海を眺める、というパターンになります。

港には、上の写真のようなものがあります。
左が「波浮の港」の歌碑で、右がたたくと波浮の港の曲になるという鉄琴のようなものです。
ちょっと恥ずかしいかも知れませんが、右から順番に叩いていくとちゃんと波浮の曲が聞こえてきますよ。
面白いですね♪

ここまで来たので、せっかくという事で、少し上まで登ってみました。
上へと上る階段の途中に「旧みなとや旅館」があり、中は踊り子の里資料館となっております。
普段は入館が可能なのですが、この夏の台風15号による被害のため、閉館されていました。
波浮は伊豆大島の南に位置しており、台風15号の影響を1番に受けてしまった場所のため、各地に被害が出ているようで何とも痛々しいです。

今回は上まで上って、「島京梵天」で冷たいたい焼きを買ってすぐにおりました。
実は島京梵天のたい焼きが食べたかっただけです(笑)。

下までおりて、「波浮の町並み」を通って、当時文豪たちに愛された雰囲気を感じます。
ここはいつ通っても本当に静かで、かつてはとても繁栄し、賑わいを見せていたとはとても信じられません。

明治末期から昭和初期にかけて、与謝野鉄幹、与謝野昌子、大町桂月、林芙美子、幸田露伴、土田耕平などの様々な文人墨客、または芸術家などが訪れ、数々の作品を残しました。
確かにあの美しい波浮港の景色に触れ、いろいろな作品へと影響を及ぼしたかも知れませんね。

そして今日も歩いてきたような道も、近年波浮港を愛する人たち(『NPO法人 波浮の港を愛する会』)によって文学碑が随所に建てられ、「文学の散歩道」として造られたのだそうですよ。

こんな素敵なマップが「伊豆大島の楽しみ方発見サイト 伊豆大島ナビ」のホームページに掲載されてましたよ。
これはとても分かりやすくていいですね。散歩意欲が湧いてきます。

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Posted by sima-life